上司とかに言われたことを、絶対やりたくなくてもとりあえずやってみる理由。
いやそれは現場でやってる人として違うって分かりますから!
と思うような指示が上から飛んでくることがあります。飛んでくるくらいなら、飛んできたのに気づきませんでした~という逃げ方もあるのですが、マンツーマンで指導をされた場合は逃げようがありません。
「現場を見てないお前に分かるかバカ!」
「あんたには出来ても、僕の能力でそれ出来ると思っているの?」
という僕にとっての正論を吐いても、相手にはまず伝わらないでしょう。ただただこっちの立場が苦しくなるだけです。また、面白くもない説教を1時間聞いていても仕事が進むわけではないので、とっとと切り上げてしまうのが吉です。
そのため、僕はとりあえずやってみることにしています。やってみて、上手くいけば自分にとってもメリットがありますし、「流石ですね~!」とか言って上司をおだてておけばその後の人間関係的にもプラスです。
やってみてダメだった場合(実際こっちの方が多いんです)、「言われたとおりにやってみましたが、ここまでいきましたが、結果としてこうなりました。」と伝えます。「ダメ」という言葉は使わない方が角が立たなくて良いですが、ダメだったことはちゃんと伝えます。
やってみた結果で、相手にそのやり方はダメなんだと言うことを受け入れさせます。言葉で言っても分かってもらえないことが多いので…。言って分かってもらえれば楽なんですけれどね。
面白いネタを思いついてしまっても、僕がグッとこらえている理由。
僕は冗談やお笑いが好きです。と言うと、周りの人は驚くでしょう。普段の様子からはそう見えないでしょうから。
落語はYoutubeとかでよく聞きますし、ラーメンズのように考えられたコントは大好きです。タイミングを上手く使ったドリフターズも好きでした。
仕事中や話の中で、面白いネタを思いついて話したくなることが良くあります。でも、それはできるだけ言わないようにしています。それを言っても、周りの人にとっては面白いかどうか分からないからです。
面白くないだけならば良いんです。キハラはまたおかしなことを言っているぞということで済むので。問題なのは、それが相手の気に触って、機嫌を損ねてしまう場合です。機嫌を損ねたことに気がつけばまだフォローができるのですが、気づかない場合も多いようです。あとから、周りに居た人が「なんでそんなことを言ったの?」と聞いてきて、やっとわかるわけです。
そんなリスクがあるのであれば、面白い(と僕が思う)ネタを思いついても、それは黙っておいた方が良いのです。
ブタと呼ばれても気にならない僕があえてツッコミを入れる理由。
あいにくと太っているので、「デブ」とか「ブタ」とか言われることがあります。まぁ、BMIの数値から考えてそうなるのは当然だと思っているので、それについてどうも思いません。
ところが、その言葉は一般的にはかなり酷い悪口に当たるようで、言われてもボーッとしていると「なんでそんなこと言われても黙ってるの!?」と言われたりします。どうも、黙っていてはいけないことのようなのです。
反論をしてケンカになっても疲れるだけなので、
「ブタで悪いか!」
「デブじゃないわ!」
「そんなこと言うなバカ!」
のようなことは言いたくありません。
そこで
「小太りは長生きするんだってね~」
「この脂肪のおかげで冬でも暖かいんだわ」
「脂肪に見えるでしょ? 実は筋肉なんだわ。さわってみる?」
のように、ポジティブ(?)な返しをしています。
本当は、こんな返しも面倒くさいからやりたくないわけですが、そういう返しをすることでデブネタでの会話が続いて、いわゆる雑談が成立したりします。
あまり反論をしてこない弱い相手と思って、悪口をアレコレ言ってくる人も居るわけです。でも、それをネタに雑談ができれば、結果としてはプラスになるのです。
冬でも半袖シャツの僕が、ダメ元で「暑い人、いませんか」と聞く理由
僕は、かなりの暑がりです。冬でも、室内であれば半袖で居ます。暖房が効いていればパンツ一枚で居たいくらいです。流石にそれは社会人として問題があるので、そこまではしていませんが、「暑い暑い」と冬でも良いながら仕事をしています。
僕個人の感覚で動けば、暖房の設定温度を下げたり、窓を開けてみたりということになります。実際、自分の家ではそうしています。でも、職場ではかなり暑いと思ってもこう言っています。
「暑い人、いませんか?」
大抵は誰も居ないので、「そうですよねぇ~」とか言いながらあきらめます。
自分にできる範囲での体温調節として、上は半袖シャツ1枚だったり、薄手のズボンをはいたり、やれることはやります。それをやるだけではなく、ダメ元で「暑い人、いませんか?」と聞くのは、作戦でもあります。そうやって「僕は暑いんですよね」というアピールをしておくことで、冬でも半袖シャツ1枚という奇異な格好を受け入れてもらうのです。
部活動は先生方の心身の余裕を食いつぶしてはいないのか。
学校の先生方が、部活動の顧問をやらない選択肢を求めて署名活動をしているそうです。
僕は中学高校と文化系だったので、土日に活動なんてありませんでしたし、平日の活動も週に1~2回程度でした。大会の前は毎日集まって活動していましたが、「君たちの活動だから」といって、顧問がつかないことがほとんどでした。
そのため、顧問なんてそんな程度だよねと思っていたのですが、社会人になって教員をやっている知り合いから色々話を聞くと、そうでもないようです。
部活動の顧問をやったがために、離婚をしたり、鬱になったり、仕事を辞めたり、まぁ色々あるようなのです。まさにブラックというやつですね。
やらなきゃ良いじゃないのと外野は簡単に思いますが、そうも行かない何かがあるようで、強制的に全員が何かしらの部活の顧問をするものなのだそうです。
苦手なことを押しつけられて精神を病む…というのは、自分も経験があるのでよく分かります。土日に好きなことをやったり、思う存分寝たりして、心身を回復しないと仕事が出来ない人もいると思います。そういう人は、潰されてしまうのでしょうね。
そんな余裕の無い状態の先生だらけの学校で、子どもたちに余裕を持った対応が出来るのかどうか。ということを考えると、ちょっと恐ろしいです。僕が中学生だった時代とは色々違う恐ろしさが、今の学校にはあるのかも知れません。
先生方も生身の人間です。余裕を持って子どもたちの対応をするためには、心身の余裕がなくてはならないでしょう。それを部活動が食いつぶしているのだとしたら、部活動なんてとっとと廃止した方が良いと思います。
ちょっとの違いが許容され、○になる時代へ。
小学校時代は漢字がとても苦手だったのですが、ついにその漢字に革命的な変化が訪れるようです。
ここではねないとダメ。こちらが長くないとダメ。そんな指摘をたくさん受けた記憶があります。そもそもちゃんと覚えてないから適当に書いてしまうわけです。
本によっては色々な字体を使っているから、自分が×をつけられた文字と同じ形で書かれている本を持って行って交渉したこともあります。大抵は、教科書通りではないからダメだと言われたわけですが。
どうやら、それが変わるようです。変わるというか、記事をよく読むと、これまでも
「はねる」「とめる」など細かい違いで正誤はなく、多様な漢字の形が認められている
ということだそうです。となると、それなのに一所懸命細かいところをチェックして×をつけてくださった先生方がアホだったということになりそうです。
ちょっとの違いで×や△がつく時代から、ちょっとの違いは許容されて○になる時代へ。
漢字に限らず、学校や社会がそう変わって行くといいですね。